先日のブログの通り、応援飯プロジェクトとし東松島市、塩釜市で炊き出しを行わさせて
いただきました。純粋に恩返しさせていただきたく両日ともに早朝より営業車に機材、食料を
積み込み避難所へ向かいました。
1日目の東松島市民センターでは、現在も約100名ほどの方が避難所にて生活をされてい
ました。震災があったのが嘘のような清々しい天気の中、避難所へ到着すると、
ご高齢の方や学生さんなど様々な年代の方々が温かく私たちを出迎えてくださりました。
山の中、のどかな場所にある避難所です。
この日は、炊き出しに賛同いただいた方が全国より10名現地に集結しました。
皆さん職業もバラバラですが、宮城をなんとかしたいとその想いだけで宮城入りされて下さっ
た方々です。本当に感謝の気持ちで一杯です。
いざ、10時ころより設営を開始し、食材を切り出し、ご飯を炊きだすと、12時過ぎにちょうど
できあがりました。糀味噌「あなたのために」と、様々な具材を織り交ぜカレーを作りこんで
いきました。普段使い慣れない大鍋でしたが、そこはフードコーディネーターの鈴木さんが
手際よく調理を進めてくれ、時間に間に合い皆安堵。
出来上がりの放送と同時に皆さんが、食べに来て下さり「楽しみにしていたよ!」と声をかけ
てくれ、続々とおかわりまでしてくれました。
あっという間にすべてがなくなり、その後は避難所の方や集結した皆さんと様々な会話の時間
を過ごしました。震災当日のこと、町のこと、そしてこれからの夢!
皆さんの元気あふれるエネルギーにさらに元気をもらった自分がいました。
帰り際は、避難所のおばちゃんたちが外まで出てきてくれて笑顔で手を振ってくれるという、
思いがけないサプライズに・・・感動。
ありがとう、必ず、また来ます。そう心に決め帰路につきました。
2日目は塩釜市公民館での炊き出しを行いました。
塩釜市は、マグロで有名な全国屈指の港街です。
私の叔父も、塩釜魚市場でマグロ問屋を営んでいたり、
普段仕事で毎週のように来る街でもあります。
その叔父は裸一貫で寝ずに働き建てた家をすべて流されました。
津波に流されたあげく、生涯の形をすべて失いました。
その場所には生活の痕跡すら一切残っておりません。
だから、私にとって絶対に行かなければいけない場所でもありました。
街を走ると、津波で倒壊した建物などあるものの、
一見日常の生活が取り戻されているように見受けられます。
しかし、見えない事実がまだまだそこにはあるのです。
塩釜市公民館は普段通りの日常が繰り広げられる住宅街の一角にあります。
30名ほどの避難所で、多くの方がご高齢の方です。
段ボールで仕切られたわずかなスペースが生活の場。
そのわずかなスペースは紛れもなく、3月11日から現在まで皆さんが
生活の拠点とされている場所なのです。
その光景を見たとき、まだまだ震災の事実を記憶から消し去ってはいけない、
そう改めて感じました。これが事実なのです。
復興は街の復興比率でだけでは表せません。
そこに、まだ避難されている方々がおられる限り、
私たちは現実として受け入れなければなりません。
この日の炊き出しメニューは、味噌カレーと、粽と味噌きんぴら。
皆で、炊き出しをしていると営業車を見て駆け寄ってくれてきた方がいました。
「あんだいの醤油好きで使ってんだよ~!!」
「あんだいの叔父さんがマグロくれたんだよ!!」
「ありがとうありがとう・・・」と。ご高齢の女性です。
胸が熱くなりました。地元あってこそ私たちがあるのだと、改めて感じた瞬間です。
予想もしていなかった、ありがたさと、感謝の気持ちが胸をいっぱいにしてくれました。
この日は、フクイのカレーの福井さんが呼びかけを行ってくださり、
料理研究家の高井英克先生が早朝より生徒さんと「粽(ちまき)」と、
「味噌きんぴら」を仕込み送って下さいました。
材料も一切妥協せずいいものをすべて使いました。
本当に美味しいものを食べていただきたいそれが私の思いですとの
暖かく熱い思いのこもった手紙と一緒に・・・。
早速、蒸し器で蒸しあげると、あたりにいい匂いが立ち込めました。
鈴木さんが丹精込めてつくった味噌カレーと一緒にお皿に盛りつけ完成。
皆さん、非常に喜んで下さりました。
また、今回の炊き出しに東京より夜行バスでお越し下さった、
フードコーディネーター鈴木さん、清水さん、高橋さん、
茨城東京栃木よりお越しくださいました白石さんと皆さん、チーム萩の皆さん、
愛知のフクイのカレー福井さん、料理研究家の高井先生、
アメリカ ラスベガス、東京より支援いただいた皆さん、
鈴木さん経由で応援飯に応援メッセージを下さった女優の白石美帆さん、
本当にありがとうございます。
この場をかりて御礼申し上げます。
私の蔵元も、明治維新のめまぐるしい政変の中、そして第二次世界大戦中と、
激しく蠢く歴史の中で人と農地の多くを失い廃業の危機を突き付けられた経緯がございます。
しかし、地元の皆さんに愛され支えられ、先代方が必死で乗り越えてきてくれたお蔭で、
今もこうして蔵元とし地元で商いをさせていただいています。
今のわたくしたち、地元あってこその今野醸造。それが私の誇りです。
震災直後から今に至るまで、多くのお客様やお取引先様、県内の方、知人友人と、
毎日のように心配と応援のメッセージをいただいております。
震災後、危険を顧みずわざわざ遠くからお越しくださった方もおります。
連絡が不通の中、警察や行政に駆け込み安否を確認し続けてくれた友人がおります。
その一つ一つの気持ちに、勇気をいただき、明日への希望を持つことができました。
そして、これほどまでに皆様に愛していただいておりますことは私の宝です。
この震災を通し、失ったものは多いけれど、
若い今、「人は人生の宝」だと改めて気づかされた自分は幸せなのだと感じます。
こうして再び立ち上がれた私たち今野醸造は、
皆さんの応援以上にこれから地域への貢献と、味へのさらなる探求を追い求める次第です。
それが私たち地元蔵元としてのやるべき使命と考えています。
いただいた恩という心の財産は必ず後世にも受け継いでいきます。
本当にありがとうございました。
キャンピングカーではばる栃木からも応援に来て下さいました。
本当にありがとう。
仙台味噌醤油 今野醸造 HP https://www.e-miso.com/